「愛」というとちょっと気恥ずかしい。
今まではずっと男女の特別なだいだがらの人と愛は育まれるものだと思っていた。だから特別な人には特別な愛を注ぎたくなる。
そして、愛を注いだらそれがそのまま戻ってくると思っていた。
だから、戻ってこなかったらなんかいやな気持ちになる。
わたしはこんなに愛を注いでいるのに。わたしはこんなにあなたのことを思っているのに。
でも、それは愛じゃなかった。単にじぶんのわがままのおしつけだった。にせものの愛のおしつけだった。
愛はだれへのものでもない。
みんなへのもの。
あの人のことはきらい、あの人のことは好き。そんなより好みをしている場合ではなくて。
みんな大好き。
みんな楽しんでいてほしい。
みんな幸せでいてほしい。
じぶんのことはどうでもいい。
じぶんはもうじゅうぶん幸せだから。
ずっと仲間がほしかった
自分が拒否していたのかどうかわからないけど、仲間がいないと思ってた。
なにかあると戻ってくる場所、みたいな。心の底でつながっていると思える場所。
6月に入って、ぼんやり思っていたそれのベールがだんだんとれてきて、はっきりしてきた。私はここにいていいんだ、と。ほんの1週間のあいだに。。。
仲間のなかでの愛を
男女のあいだがらではなく、みんなかぞくとして、かぞくみたいに、愛を与え、受け取る。
いま、わたしはここにいるべきなんだとなぜか無意識におもう。
そこにいてどんな化学現象が起きるか、とってもたのしみだ。