「たのしい」のレベル

よく笑う人をみると、「あ、『たのしい』のレベルが低いんだなあ」とおもう。

レベルが低いというとちょっとわるぐちみたいに聞こえるかもしれないけど、そうではなくていい意味で。笑

あるひとつのできごとについて、どう思うか

たとえば、休みの日にいっしょに買い物に行こうと予定していた友だちから、当日(しかも出発の直前に)「ごめん!他の予定で優先しないといけないことをきゅうに思い出したから、今日行けなくなった!」と連絡があったとしよう。そのときにどうおもうか?

  1. まじかー。ドタキャンすぎてさいあくやー。あいつさいあくやー。
  2. そっかーしょうがないなあ。ひとりで買い物行ってたのしめるものさがそーっと。
  3. あーいまこの人と会うべきじゃなかったんかなあ。買い物も、いま買うべきじゃないんかもしれんなあ。

1は完全にネガティブである。2と3はポジティブである。3は宇宙の意思を感じ取るかんじ。

ネガかポジかは、その人の生き方にそのままあらわれてくるとおもう。そしてそれがその人のエネルギーになる。

たのしみをみつける

たとえば、通勤電車。満員だとちょっとむずかしいかもしれないけど、立ってないといけない程度の電車でも、たのしみはたくさんみつけられる。
車内広告、車内の人、あの人のかばん、あの人のイヤフォンコード、あの人とあの人の関係、窓の外の風景、乗ってくる人たち…。
そこにたのしみをみつけられるようになれば、「たのしい」のレベルはだんだんとさがってくる。

そのときその時間その一瞬をせいいっぱいたのしむ

そうしてくると、いまの一瞬のそのときをせいいっぱいたのしめるようになる。
いましかないからたくさんたのしみたくなる。そのときにいっしょにいる人たちとせいいっぱいたのしみたくなる。

同じ話をしても笑う人と笑わない人がいる。
わたしのはなしはたいていはおもしろくないからしょうがないんだけど、それでもいっしょにいてこの話をしているだけで「たのしい」と思ってくれる人もいれば、まったくたのしいと思ってくれない人もいる。

わたしは、だれとでも、「いっしょにいてたのしい」とおもって過ごしているようにしたい。

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