DevLOVE X 〜 それぞれの10年、これからの10年 〜

6/22(土)と6/23(日)の、土日の2daysにわたってひらかれたDevLOVE X 〜 それぞれの10年、これからの10年 〜

ソフトウェア開発・越境界隈での重鎮が集まる、二度とないこんな豪華な顔ぶれ。

いつもお世話になっているギルドワークスの市谷さん(&竹本さん)が2008年にはじめた開発者のコミュニティは、11年が経った今は6000人の規模となり、この二度とないくらいの大イベントも200人の参加者。

個人的に市谷さんと仕事をさせていただいているなかでいろんな話を聞いているので、わたしの思い入れもそれなりにあり、なんか関わらせてもらうだけでしあわせやなぁ〜と感無量。何度か泣きそうになった。

見えないところでいろんな人のいろんな気持ちが見え隠れ。
ふだんはクールなあの人も、今日のセッションはなんかエモいぞ。それを聞いて、気持ちを感じて、また泣きそうになる。笑

他の方のセッションもどれもおもしろかったー。もちろん、大半が開発においてやってきたこととか、今までの振り返りとか、これからの未来の話とか。

しかし、いろんな人の振り返りを聞いているなかで、10年以上前からアジャイルを啓蒙しようとしてきた方、啓蒙しようとしたけど早すぎた感とか。
新しいもの(=良きもの)をいちはやくとりいれて広めようとする姿勢は、いまも昔も変わらないし、10年以上前からそういう姿勢の方は10年経ってもいまもその姿勢は変わらない。

少し時代が早すぎるかもしれないけど、でもそれは今後のスタンダードになっていく。いまの重鎮たちはみなそうやってきた人たちでした。

そんななかでひっそりとわたしも発表させてもらいました。

ソフトウェア開発の文脈ではわたしはなんの役にも立たない(…ことはないか、UIデザインには興味はある)。
はてなにを話すべきか…と考えた結果、いまの自分の思うことを正直に話してみました。

10年後…地球はあるのか?

まだ成長する?(成長する必要ある?)

次の100年のためにエンジニアとしてあなたにできることは?

エンジニアじゃないあなたも!次の100年の地球のために、今なにをするべきか。個人個人ができることを。

いちばんのメッセージは、昨年末に発表されていた、宮崎県でのドローンでの山林への除草剤の散布問題。
宮崎からオーガニックが無くなる?農薬林業と宮崎の未来 : 山師兄弟Blog 『 林業ボブマーリー 』 

このシステムをつくってほしいと依頼されるのは、もしかしたらあなたかもしれません。
そのときに、「Yes」というのか「No」というのか。

本当に「正しいものを正しくつくる」とはどういうことなのか。目先の仕事の効率化のために地球によくないシステムをつくってしまってもよいのか。もしつくるとしたら、あなたにもその責任はあるのではないか。
と、えらそうなことを言える立場ではないですが、内心そう思うのです。

この内容が思いのほか良い良いと言ってくださる方がいて、うれしい反面、ちょっとびっくり。しかも経営者のかたがたに。

セッション後にはゆっくりお話できなかったので、ぜひまたお会いしてお話したいです。

正しいものを正しくつくる

(あ、宣伝。笑)

ダウンシフトはこわい?

グループワークで自分の想いを共有するなかで多かったのが「ダウンシフトに勇気がいる」ということ。そのときわたしは「月10万円以下で生活しているのでそんなに稼がなくてもいいんですよ」と答えたのだが、いま思うとそういう答えがほしかったわけではないのかな。笑

逆に、なにがこわいんだろう。と聞いてみればよかったな。
いままで東京でやってきたキャリアを捨てることに勇気がいるのか。
いまの生活レベルを落とすことに勇気がいるのか。
いちど捨てると戻れなくなることが不安なのか。

個人的には、捨てたところでまた新しいものが入ってくるからなんとかなる。これが答えかな。だからこわくない。
しかもいままでの経験があるから、それを活かして新しいことに自由に挑戦できる。

あ、でも田舎の「不便な」生活を許容できる気がしない人は多いみたい。

でも正直なところ「不便さ」を楽しめるほうが気持ちが豊かになるとは思う。

沢渡あまねさんは「○○の問題地図」という書籍シリーズで著名なあの方だ。今度、いっしょに田舎で読書会を企画することになり大変うれしい。

田舎と都会、行き来する二拠点生活もとってもオススメしたい。都会でこもる日もあれば、田舎で川べりで作業する日もあればいい。生活はひとまず都会ですれば「不便さ」はないだろう。

ご縁とはすごい

登壇者のおひとり(重鎮)の@hiranabeさんと懇親会でお話させていただき、廃材アートの活動の件を伝えたところ、どこかへ走っていってこのポストカードをとってきてくださり、いただいた。
まさにいまこれによって自分に自信を持ってもらいことだらけで涙が出た。DevLOVE縁すごい。

これらの言葉「THIS IS YOUR LIFE. 」は、エコデザインベンチャー企業 Holstee 社のマニフェスト。
このマニフェストが素敵すぎて、NYまで行って日本語訳を申し出たらしい。すごい。

そんな平鍋さんも、福井に本社のある会社の社長さんで、東京と福井を行ったり来たりされていて、共感することがたくさんあった。ゆっくりお話したい。

まとめとスライド

わたし自身もこの発表によってじぶんの気持ちが整理できたのと同時に、そういう想いを持っている人たちとつながれてとてもよかったです。
ITこそ遠隔で成り立つ可能性があるのだから。

#DevLOVEX とみた ちひろ「生命の営みに触れるべき次の10年のために開発者に伝えたいこと」 #DevLOVEXB Day2-2B – Togetter

(表紙の写真:photos by Toshiaki Nomura)

循環の気持ちとこころ

この前、わたしたちのプロジェクト Permaculture Design Books でできた冊子を、しまなみ海道の向島に住むパーマカルチャー仲間に送った。(このプロジェクトについては別記事でまたくわしく)

対価をどうするかというところで話した結果、向島でとれた無農薬かんきつ類との物々交換でどうかということで合意した。

とってもおいしいカンパーニュといっしょに送ってきてくれた。

この無農薬かんきつ類(名前はわからないけど、全部ちがいそう!笑)、形もボコボコだし汚れもあるけど、食べてみるとめちゃくちゃ濃くておいしい!
こんなにおいしいのは食べたことない!と思った(のは彼からの気持ちも入っていたからかもしれないが…笑)。

貴重な無農薬かんきつ類のピール

さて、きょうび無農薬かんきつ類はなかなか手に入りにくい。さらにNo waxでもある。つまり、ピール(皮)をそのまま安心して使える。
こんなにうれしいことはない。この皮を捨てるなんてオレンジの神様に怒られる。

 

さっそくてんさい糖と煮詰めてピールにした。ほろ苦くてとてもおいしい。

パンやスコーン、クッキーにもした。

その中でも、日持ちのするクッキーをどんぶらこ〜と彼にお返しした。

距離は関係ない循環の気持ち

やっていることはなんてことない、いただいたものを形を変えてお返しする。
「かんきつ類→食べ残った皮をピールにしてクッキーへ」
ただそれだけ。

通常なら捨てるべきものを、形を変えて価値を与える。わたしの好きなやつ。笑

広島と京都。距離は離れているけど、配送屋を介して循環の気持ちがつながる。とても豊かで幸せな気持ちになった。

こんなにおいしそうに食べてもらえると、うれしい。

※配送にかかる梱包材などはエキストラで出る「ゴミ」になるやもしれない。でもできるだけそれも再利用、利活用したい。

イベントで使って捨てれなかった紙コップでの苗づくり

今年の1月〜3月にかけて。和束では倉庫のなかに家(小屋)を建てていくというふしぎなリノベーションスクールが開催されていました。→詳細はこちらとかで Tsunagiba シェアハウス リノベーションスクール@和束町 | 相楽暮荘

わたしもだいたい参加していたのですが、とってもたのしくて有意義な時間でした。スライド丸のこやビスどめくらいはできるようになったしね!

ただここで毎回使っていた紙コップを、わたしはどうしても捨てられなかったのです。

毎回約20人が参加して、毎回ひとりにつき3個くらい紙コップを使うのです。けっこうな数。。終わるごとに、「持って帰りたい」と言ってもらって帰り、軽く洗って乾かして。
なんとなくぼんやり苗ポットとして使えるよな〜とおもいながら、ずっとためてました。
(こういうときに特に変な目で見られずに、「ええやん〜」と言ってくれるみんなが大好きです)

春が来た!

そして、そうこうしているうちに、あたたかくなり、種まき&苗づくりの時期が来た!

そしてなんのあてもなかったのですが、なんと畑を借していただけることになったので、そうだ、あの紙コップタワーだ!

ひとつひとつ、底に穴をあけていきました。

ふつうの苗ポットよりもかたいので、抜きづらい…かもしれないけど、それはまたそのとき考えよう。

裏山の土をいただく

またさらに続きます。

今度は、苗づくり用の土。庭の土だとにわかにかたく、栄養素的にイマイチな感じがしていたので、近所のかたの裏山の土をいただきました。
この腐葉土がほんとに腐葉土ですばらしい!長年の落ち葉や枝、それを微生物が分解したであろう黒い土。

それを紙コップポットに入れ、種をまきました。

なかなかの達成感。

今回買わずにすんだもの

  • 苗ポット→イベントで捨てられる運命だった紙コップたち
  • 腐葉土→Hさんの裏山の土
  • 苗ポットを入れるカゴ→とりあえずダンボールに入れている

いろんな人のおかげで生きています。いつもありがとうございます。

photos by Takashi Matsukawa, Tomomi Kasumi

デザインを含む「ものづくり」に対する同調の心

フリーランスになり…というよりは「さすらいのデザイナー」という感じでひとりふらふらする期間も長くなり、いろいろな人と出逢うなかでもデザインのしごとをさせてもらっているなかで、ふとおもうことがあるので書きたくなった。

「ものをつくる」ということ

「ものをつくる」といってもわたしの場合に長けているのは、「だれかの想いをかたちにすること」のようです。
なので、だれかの想いがなければかたちにはならない。し、その想いがぶれぶれであってもかたちにならない…というかその場合はわたしがふりまわされてしんどいおもいをします。

「だれかの想い」に対する同調

言い換えると、その「想い」にかなり入り込みます。
「これをつくりたい!」という具体的なものよりは

  • なぜそれをつくりたいのか
  • それをつくってどうしていきたいのか
  • それが世の中のためにどう貢献していくのか

といったことを聞いて、その「心」に同調します。
そしてできるだけその立場にたった上で、どういう表現が人に伝わりやすいのかというのを試行錯誤してかたちにします。

なので、そもそもそのプロジェクトや商品に同調できないと、かたちになりません。
たとえば、わかりやすく誇張して言うと、地球環境を汚染しつづけるものを生産しているだとか、人の心をあざ笑うような商品とか、、

また、その人の心がきれいかどうか、というのも重要です。
真摯にそのプロジェクトや商品に向かい合っているか。
たとえ冗談であっても、じぶんのプロダクトや商品をバカにするような言葉を口にする人の想いは、かたちにはできません。

さらにいうと、ビジネス色の強いものも苦手です。
だれしもたくさんのお金がほしいという気持ちはあるかもしれませんが、それがメインの目標になっているとどうしても人間のいやな面が目についてしまう。
お金は二の次、草の根的にどうしてもこの商品や想いを世に打ち出していきたい、そういう人に同調しやすいです。

同調するときと、「同調した」と錯覚するとき

同調すると、ぴったり合う場合はだいたいどんな場合でも一発OKで進んでいきます。
たまにちょっとした方向性のかんちがいとなることもありますが、それはだいたいはこちらのヒアリングミスで、その後の軌道修正で問題なく進みます。
いちばんしんどいのは、同調した…と見せかけられて、実はちがった場合。
ヒアリング時に、お客様のほうが心を開ききっていない場合や、「実は裏にちがう意図があった」という場合はこういうことが多く、その後ふりまわされてしまう(と感じる)ことが多いです。

あくまでわたしの感じる気持ちなので、お客様はふりまわしたとは思われていません。
でも度重なる「そうじゃない」という言葉は、真意を聞いていないので理解できません。それは、同調しようとしているわたしの心に重くのしかかります。

できれば、すべて心を開ききって相談してほしいです。
もし、裏に言えないような意図があるような場合は、言ったものをそのままつくってくれるような他のデザイナーさんに相談してください。

逆に、同調せずにデザインをする場合はあるのか?と考えると、たぶんないですね。
お金のために生活のために、よくわからないものをつくることほどつらいことはありません。

なにが言いたいかというと

と、そんなわたしなので、たぶんお客様側からしてもめっちゃめんどくさい人です。笑

今まではあまりそういう面は外に見せず、さらっとつくれるふうに動いてきたのですが、それもだんだんしんどくなってきたので、やめます。笑笑

そこまで同調するデザイナーといっしょにものをつくりたい人がいたら、ぜひよろしくお願いいたします。
いいものつくる自信はありまする。

LINEスタンプの紹介

あまりどこでも拡散していないけど、わたしの趣味でつくったLINEスタンプがあります。その名も、「もじもじウシ子さん」!笑

 

なんのキャラ?w
という感じですが、、胸にウシをつけたもじもじくんの服を着た、素直でちょっと天然キャラ。
わたしが中に入っているというウワサも…笑

誕生秘話はものすごくウチワのものなので、カット。

単純なイラストのなかにも味があるものをめざして、ウシ子さんシリーズ追加していってみまーす。

購入はこちらからだよん↓

もじもじウシ子さん – LINE スタンプ | LINE STORE

旅の準備編〜もじもじウシ子さん – LINE スタンプ | LINE STORE

suzuriオープン!グッズ販売をはじめました

最近イラストを描くことが多かったり、ロゴやチラシといったグラフィックデザインをすることが多いのですが、そこで、ふとしごとの合間に思い浮かんだおもしろいものとかを、グッズにしてみようとむしょうに思い、suzuriをオープンしました!

LINEスタンプでおなじみの「ウシ子さん」シリーズや、かわいいんだけどなんだか味わい深いポエムシリーズや、なにかの断面図シリーズ。

とくに理由はなくて、「かわいいけど味わい深いもの」がなんとなくテーマかな。

お気軽に見てみてくださいね〜!

chihirotomita のオリジナルアイテム ∞ SUZURI(スズリ)

 

しそジュースのラベル(てがき)

先日つくっていたしそジュースを、やっと小分けビンに入れて持って帰ってきた。

いま、ほかの案件でもパッケージのデザインをやらせてもらっているのだけど、ここではじぶんらのやし、あそびも兼ねて手がきで。

ぶっつけ本番のPROCKEYの細ペンは、いつもかなりいい感じになる。思ったよりもわかいくできる。

そのかわり、かくときにかなり集中する。つまりエネルギーをたくさんつかうので、つかれる(笑)

これは、なんかの下書き(笑)

いままで、絵をかくことは苦手だった。でもさいきんはじぶんでおもっているよりもかわいいものがかけるようになっている気がするので、たのしい。

パソコンに向かってデジタルでクリエイトするよりも、やっぱりしっくりくるものができる気がする。

いまさらながら、これからは紙にむかうじかんを大切に、たくさんとっていこう。

「たのしい」のレベル

よく笑う人をみると、「あ、『たのしい』のレベルが低いんだなあ」とおもう。

レベルが低いというとちょっとわるぐちみたいに聞こえるかもしれないけど、そうではなくていい意味で。笑

あるひとつのできごとについて、どう思うか

たとえば、休みの日にいっしょに買い物に行こうと予定していた友だちから、当日(しかも出発の直前に)「ごめん!他の予定で優先しないといけないことをきゅうに思い出したから、今日行けなくなった!」と連絡があったとしよう。そのときにどうおもうか?

  1. まじかー。ドタキャンすぎてさいあくやー。あいつさいあくやー。
  2. そっかーしょうがないなあ。ひとりで買い物行ってたのしめるものさがそーっと。
  3. あーいまこの人と会うべきじゃなかったんかなあ。買い物も、いま買うべきじゃないんかもしれんなあ。

1は完全にネガティブである。2と3はポジティブである。3は宇宙の意思を感じ取るかんじ。

ネガかポジかは、その人の生き方にそのままあらわれてくるとおもう。そしてそれがその人のエネルギーになる。

たのしみをみつける

たとえば、通勤電車。満員だとちょっとむずかしいかもしれないけど、立ってないといけない程度の電車でも、たのしみはたくさんみつけられる。
車内広告、車内の人、あの人のかばん、あの人のイヤフォンコード、あの人とあの人の関係、窓の外の風景、乗ってくる人たち…。
そこにたのしみをみつけられるようになれば、「たのしい」のレベルはだんだんとさがってくる。

そのときその時間その一瞬をせいいっぱいたのしむ

そうしてくると、いまの一瞬のそのときをせいいっぱいたのしめるようになる。
いましかないからたくさんたのしみたくなる。そのときにいっしょにいる人たちとせいいっぱいたのしみたくなる。

同じ話をしても笑う人と笑わない人がいる。
わたしのはなしはたいていはおもしろくないからしょうがないんだけど、それでもいっしょにいてこの話をしているだけで「たのしい」と思ってくれる人もいれば、まったくたのしいと思ってくれない人もいる。

わたしは、だれとでも、「いっしょにいてたのしい」とおもって過ごしているようにしたい。

はじめての。。しそジュース

自給自足をしたいなあと思いながらも、実は畑とか加工とかをいっさいやっていない。(環境が整わないというのをいいわけにしているだけだけど。。。)

そんななか、村のかたの畑のお手伝いをしようとおうかがいしたところ、「しそジュースつくれるか?」と聞かれたので、つくったこともないけど「やりますよ!」と答え、「つくったことないけど。。。」とあとでつぶやく。笑

レシピをおしえてもらったら、必要なものはそろっていたので、あとはつくるだけ。。と思いきや、しそについていたアブラムシやそのたまごをとるのがとってもたいへんでした。。。
しその葉だけで600gくらいあったかなあ。

なんとか葉をきれいにできたので、煮る。

赤い色が出てきれいだ。
この時点では、少しどす黒い感じの赤色だったんだけど、クエン酸を入れるとすーーーっと色があざやかな色に変わっていって、すっぱくなった!
クエン酸すごい!

みなさんに手伝っていただいて、ぶじ4Lほどのシロップができましたー!

このあと、使い古したしそをしぼって乾かして、ふりかけにしようとおもいます。

大地の再生 岡山復興プロジェクト@倉敷 真備町 に参加しておもった

大地の再生 岡山支部の、真備町での水害に被災されたところのおうちの環境改善に参加しました。

かべのきわに溝をほる

空気と水をとおすために、かべのきわに溝をほる。
ここが詰まっていると、膿がたまっていく。

今回は泥水をたくさんかぶってしまっていたので、土の表面に泥の膜が数cmあった。この泥は、特に必要ではないし、きたないものもふくんでしまっていたりするので、もうとってしまってもいいし、もしくは土といっしょに混ぜ込んでしまってもどちらでもいい。
かたくなってひび割れている土は、空気がとおっていない。
空気と水がとおっている土は、ふかふかになっているから。だからひび割れているところは空気がとっていないとおもっていいらしい。
そういったところを掘り返して空気を入れたりした。

コンクリートには点穴もよい

コンクリートの下も、基本的には詰まっている。
今回のおうちでは、池の底がコンクリートがうってあった。これを全部はぐのはたいへんだけど、いくつか点穴(50cm四方)をあけてあげた。
こうすることで、コンクリの下に空気がとおるようになる。

ときにはユンボウを導入。
ユンボウの操作をまじかでみたのがはじめてで、その繊細な操作にかなり感動してしまった。笑

ごみとなってしまった山を見て…

被災した地域では、水につかってしまったものはほぼもう使えない。
そんな粗大ごみ置き場が、そこここにあった。
不要になってしまうのはしかたがない。でもこの山を見ていると、なんだか人間の身勝手さを感じてしまう。
必要なときには必要だけど、そうじゃなくなってしまったらすぐに手放してしまう。
もし自分がこういった被害にあったとしても、ここにごみを持ってくるような生活はしたくないなとすごくおもった。

八百万の神というとちょっと宗教くさく感じてしまうけど、でも、ものをだいじに使うかどうかはわたしにとってはけっこう重要におもう。
たとえば、スーパーでつけてくれるビニル袋だって、スーパーから家までものを運んだら、そのあとはすぐに捨てられることだってある。
ほんの5分だけのいのち。

そのものが、高価だろうがそうでなかろうが関係なく、ずっと長く使われるように、ということをずっと考えていきたい。

霧ヶ峰高原での「じぶん以外いない」状況と、好きなものの再認識

長野県の霧ヶ峰高原。
前日に「八島ビジターセンター」の駐車場に行き、そのまま車中泊にて朝を待つ。

朝6時から出発するとほとんどだれもいないのだが、そこに360度パノラマで広がる八島湿原。

もうこの湿原を見ただけでまんぞくではあるが、そのさきの車山もめざしてみたい。

だれもいないなかに足を進めていくと、ほんとうにまただれもいない草原が出てくる。しかも人も見えない。。(実際には数人すれちがったのでいるのだけど)

まっさきに、「この大草原のまんなかに小屋を建ててそこに住みたい!」とおもった。笑

虫や動物はすごいとおもうけど、ここなら創作活動も無限にできるのでは。。とかおもってしまうくらいの、ほんとうに好きな場所だー。

あと、うねりながらも続いていく道が好き♡
遠くにみえる小さな道。でもどこかにつづく道。

車山山頂はこんなかんじで、北アルプスや南アルプスがほんとうによく見える日だった。さいこうだった。
富士山もあたまだけ少しみえた。

「好きなもの」の再認識

ここでも、じぶんの「好きなもの」を再認識できた。

大草原、平原、1km圏内にだれもいないようなところ、小径(こみち)、などなど。
確実にしあわせな時間をすごしていた。ひとりでいても、しあわせだとおもえる時間だった。
好きなものをじぶんで知ることができるのは、ほんとにしあわせなことだとおもえた。

湿原のなかに動物がいない生態系

ただひとつ気になったのは、湿原のなかにいっさい動物がいない(というか入らないようにしている)という生態系。

シカとかが入って、湿原の草を食べてしまうらしい。
なので、あくまでも湿原の草を守るという目的なんだけど。。。

植物や虫はもちろんたくさんいるのだけど、そこに動物たち(哺乳類かな)がいない。ここではなにが食物連鎖のピラミッドの頂点にいるのだろう。
虫?爬虫類?小動物??
それらは大繁殖しないのかな?
湿原はたしかにきれいだし、ここにシカが来ていて草を食べてしまったらこんな風景にはならないのだけど、とはいえなんだか気になってしまう。

アフリカのサバンナみたいに、ゾウやキリンもここでいっしょに暮らすような大草原にはならないのかなぁ〜とかおもってしまった。むずかしい理由はもちろんあるんだろうけど。

美ヶ原高原の美しい荒野と、バイオトイレと、テレビ塔

長野県の美ヶ原高原。
特になにも予定は考えていなかったけど、安曇野での「わさび祭り」を見たあとでふと思いついて、夜に山をあがった。

「夜のうちにあがっておけば、日が昇ったらすぐに散策できる」

日本でいちばん高いところにある「道の駅 美ヶ原高原」は標高2000m。
夜暗くなってから2000mまで車であがるのは、実はちょっとこわかった。
1年前にも長野に行ったときは、乗鞍高原へ、雨の中夜8時ごろ車でのぼった。トラックは多いし、雲で視界はわるいし、ものすごく後悔したのを思い出して、まずぐーぐる先生で道がどのていど広いかみっちり調べた。
二車線あれば、たとえ視界がわるくてもこわくない自信はあったので、ストリートビューで見る見る見る(夜中に離合困難な山道はさすがにいやだ。。)。

ありがたいことに晴れてはいたので、ぶじ道の駅に着くと、キャンピングカーなど車中泊のかたがたがけっこう泊まっておられた。
その日は、もう暗いし、100均のライトもすぐに電池が切れたので、寝袋にくるまって寝た。

どこまでも広くつづく高原地帯

次の日、日の出を車の中からチラ見して、6時ごろに出かける。
とりあえず王ヶ鼻をめざそうとおもうが、それ以外は決めていなかった。

駐車場を出て遊歩道のほうへ歩くと、そこですでにもう興奮してしまった。

湿原のなかにあるこの木の板を、ずっと歩いてみたいとおもってた。笑
うおーとひとり興奮しながら歩いていると、さらにすごい光景が広がって、ことばを失う(おおげさw)。

うし!?牛がいる!

牧場のことは調べてないので知らなかった。調べないとこういう驚きがあるので、けっこう好き。笑

こんな大草原のなかの牧場。さぞしあわせだろうに。。。と勝手に妄想をする。ほんとのところは知らんけど。

テレビ塔のなかにホテル

王ヶ頭に来ると、テレビ塔のなかにホテルがあった。
テレビ塔は向こう側からもよく見えていたんだけど、そのなかにホテルがあるとは思ってもいなかった。。某系列のホテルのようで。
景色などはたいへんいいのだけど、テレビ塔のなかにいてリラックスできるのか!?という不安は残る。。

柵をこえていった先には…

平原の途中に、人も通るなといわんばかりの柵があり。
最初は人も通ってはいけないと思っていたんだけど、どうやら向こうには茶臼山(ちゃうすやま)があるらしい。
山に登る気はまったくなかったけど、この平原を歩けることなんてそんなにないんじゃないかという期待で、なかに入ったら、やっぱりーー!!

まんなからへんにちょっと見えるのが人だよー。すごいねー。
少し離れるだけでもこんなに人って小さくなる。。(そのまた向こうに牧場とかも小さくみえる。。)

バイオトイレ

平原のなかの小屋にあったトイレが、ブオンブオンとものすごい音がしていたのだけどどうしてもトイレに行きたかったので、行ってみたらなんとバイオトイレだった。

大と小をわけていて(意識しなくてもたぶんしぜんとわかれるしくみ)、小を分解して水分として使っているのかな?
用を足すと、スイッチを押す。そうすると撹拌されるらしい。

なかのしくみや装置までは見れなかったけど、自然に分解されるというのでとってもいいなあと思った。においは少しあるけど。
なんか良くない点とかはないんかなあどうやろう。

遠くにみえるオブジェクトたち

美ヶ原高原、20kmくらい歩いたかなぁ。。
でも来て散策してみて、とてもよかったー。実は、じぶんの作品のヒントも得た。それがなにより大きかった。

平原いいなあ。

このために来た、東京

大きなイベント、DevLOVE201。

IT開発者の最先端の人たちが集まるイベント。そんな最先端のイベントで、ITの話はほとんどせず、パーマカルチャーと、お金はいらないよって話をする。

じぶんのなかでは、完成度合いや伝わり度合いは20%くらい。

でも、F1のたねの話や、自給自足に興味を持っている人もいて、ミニマム主義の話でもりあがって友達ができて。

渾身の渾身会でも、パーマカルチャーから広がった、哲学や生き方の話、ジェンダー論に広がったり。

富山にも行くところができたりして。

最近だれかが言っていた、「世の中に一滴のしずくをたらすだけでいい」。なにかのきっかけになればいい。あーだれだっけな。。高坂さんの本(減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫) )かもしれない。

そのことばがふと思い浮かんできて、あ、少なくともいまこの人たちのなかでしずくがたれたかなぁとかおもって、うれしくなった。

なんの話をしたらいいかなーと相談していた和歌山の友達とのやくそく。「このなかの1人にでも伝われば御の字」というのは達成できた♡

東京にもたくさんのなかまがいる。ぶっとんだことを言っても、やっていても、じぶんをつらぬいていれば、みんな受け入れてくれる。

プレゼン力は2割くらいの満足感だったけど、むかしみたいなくやしい感じはまったくない。

それをベースにして、みんながそれを話題にしてくれたら、それだけでじゅうぶんうれしい。

プレゼンのスライド

じぶんがしっかりしていれば、まわりも変わる

きょうは、ちょっとおカタい方との打ち合わせ@東京。前回の打ち合わせは、とってもイライラした。

いま冷静に考えると、それは、会話を相手のペースにあわせてたから。じぶんのやりたいこと、やりたい道をちゃんと提示できなかったから。

じぶんの考え。つらぬくのがすごく苦手だった。

まわりに「それちがうんじゃない」と言われると、あーちがうんだ、とおもってた。

120%素直にうけいれるのは、じぶんのいいところだとおもってた。

素直にうけいれるのはだいじだけど、じぶんがおもっていることの基準を人にまかせるのはちがう。

じぶんの基準はじぶんでいい。

じぶんがやりたいことに自信を持っていい。

まわりをふりまわすのはちがうけど、じぶんのやりたいことをつらぬいていい。

そうしてじぶんがたのしかったら、まわりの人もたのしくなる。

音を楽しむ、日常の場

6月14日、待ちに待った金沢でのライブ。そこは、愛と楽しみにあふれていた。

こんなに日常みたいなライブはあるだろうか…

いつもの仲間で、いつもの楽器で、いつものように、音を楽しむ。気をはらない。みんなあるがままに、テンションをむりやりあげるでもなく、ただ楽しいから勝手にあがるテンション。

そんな楽しんでいる仲間たちをただ微笑みながら見守るリーダー。

どこか冷ややかに観察しているところもありながら、さりげなく場をまわしていく。

みんな、この、音をさいこうに楽しむリーダーのまわりに集まってきてる。ただ楽しいから集まってきて、音をつまみに酒盛りをして楽しんでる。

そんな日常。

その場を見れてよかった。愛と楽しみにあふれた、日常の雰囲気。

その光景を思い出すだけで、わたしもああいまのあるがままでいいんだ、そうおもえる。

好きなだけ楽しめばいい。楽しくないことはやらない。ただそれだけ。

ああしないといけない、こうしないといけない、ってのはいらない。

なんかちがうな、とおもったらやめればいい。

この新月の挑戦「かぞくみたいな仲間」

「愛」というとちょっと気恥ずかしい。

今まではずっと男女の特別なだいだがらの人と愛は育まれるものだと思っていた。だから特別な人には特別な愛を注ぎたくなる。

そして、愛を注いだらそれがそのまま戻ってくると思っていた。

だから、戻ってこなかったらなんかいやな気持ちになる。

わたしはこんなに愛を注いでいるのに。わたしはこんなにあなたのことを思っているのに。

でも、それは愛じゃなかった。単にじぶんのわがままのおしつけだった。にせものの愛のおしつけだった。

愛はだれへのものでもない。

みんなへのもの。

あの人のことはきらい、あの人のことは好き。そんなより好みをしている場合ではなくて。

みんな大好き。

みんな楽しんでいてほしい。

みんな幸せでいてほしい。

じぶんのことはどうでもいい。

じぶんはもうじゅうぶん幸せだから。

ずっと仲間がほしかった

自分が拒否していたのかどうかわからないけど、仲間がいないと思ってた。

なにかあると戻ってくる場所、みたいな。心の底でつながっていると思える場所。

6月に入って、ぼんやり思っていたそれのベールがだんだんとれてきて、はっきりしてきた。私はここにいていいんだ、と。ほんの1週間のあいだに。。。

仲間のなかでの愛を

男女のあいだがらではなく、みんなかぞくとして、かぞくみたいに、愛を与え、受け取る。

いま、わたしはここにいるべきなんだとなぜか無意識におもう。

そこにいてどんな化学現象が起きるか、とってもたのしみだ。